中国の文献に、萱草を持っているとつらいことを忘れるとあり、以後、日本で萱草をわすれ草となった。 この歌の作者大伴旅人は当時九州にあって、望郷の念にかられていた。香具山のほとりが、懐かしい故郷の飛鳥である。 そこで、あまりにもつらさのために、わすれ草を紐につけて耐えようとした。